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瀬戸内シージャック事件昭和45年5月12日に発生した、旅客船乗っ取り事件である。犯人の川藤展久は、銃砲店からライフル銃と弾丸を強奪し、広島市の宇品港停泊中の、定期旅客船「ぷりんす号」に乗り込み、船長を脅迫して出航させた。川藤は、広島県警の警備艇「こがね」の操舵室を狙撃し警部補に重傷をおわせた。また偶然モーターボートで遊んでいた一般人2人を狙撃したほか、セスナ機を銃撃した。川藤は肉親の説得にも応じずライフル銃を乱射し、警察官1人が撃たれて重傷を負い、強行偵察をしていた警察のヘリも撃たれた。広島県警はこれ以上の被害拡大を恐れ、場合によっては緊急避難措置として射殺も致し方ないとして発砲を許可していた。乱射していた川藤が一瞬下を向いた際に大阪府警から派遣された狙撃手が川藤を射撃した。船長が聞いた川藤最期の言葉は「死んでたまるか、もういっぺん・・・」であったという。
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瀬戸内シージャック事件
昭和45年5月12日に発生した、
旅客船乗っ取り事件である。
犯人の川藤展久は、
銃砲店からライフル銃と弾丸を強奪し、
広島市の宇品港停泊中の、
定期旅客船「ぷりんす号」に乗り込み、
船長を脅迫して出航させた。
川藤は、広島県警の警備艇「こがね」の
操舵室を狙撃し警部補に重傷をおわせた。
また偶然モーターボートで遊んでいた
一般人2人を狙撃したほか、セスナ機を銃撃した。
川藤は肉親の説得にも応じずライフル銃を乱射し、
警察官1人が撃たれて重傷を負い、
強行偵察をしていた警察のヘリも撃たれた。
広島県警はこれ以上の被害拡大を恐れ、
場合によっては緊急避難措置として
射殺も致し方ないとして発砲を許可していた。
乱射していた川藤が一瞬下を向いた際に
大阪府警から派遣された狙撃手が
川藤を射撃した。
船長が聞いた川藤最期の言葉は
「死んでたまるか、もういっぺん・・・」
であったという。
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