2009/06/15

あの頃のサッカー

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

木村 和司
ポジションはMF又はFW。
広島市南区大河出身。
大河FCから県立広島工業高校に進学。
攻撃的サッカーで名を馳せた県工の
中心選手として1975年度の高校選手権で
ベスト4の成績を残した。
その後明治大学政経学部を経て、
1981年に高校の先輩・金田のいる
日本サッカーリーグ日産自動車サッカー部
へ入部した。

匿名 さんのコメント...

金田 喜稔
広島県安芸郡府中町出身。
当時、広島で一番強かった
広島県立広島工業高校に進学。
同校監督は第1回FIFAコーチングスクールで、
実技でトップになり、後にJFAのコーチも務めた
松田輝幸で、さすがに松田からボールは取れず、
徹底した指導を受けドリブルに磨きをかけた。
広島工業時代は1年からレギュラーに抜擢され
楚輪博、石崎信弘、木村和司、猿沢茂らと
スペクタクルなサッカーを展開。
1975年、高校選手権ベスト4。
初戦の新潟巻高校戦10-0は、
18年ぶりの10点差以上の記録で、
得点のほとんどが金田からの好配給によるもの。