2009/06/14

あの頃のレスラー

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ドリー・ファンク・ジュニア

父親のドリー・ファンク・シニア、
弟のテリー・ファンクも著名なプロレスラーである。
テリー・ファンクとタッグ「ザ・ファンクス」を組み、
日本でも大活躍した。

ウエスト・テキサス州立大学で
フットボール選手として活躍後、
1963年7月にアマリロで初マットを踏む。
同年11月にはデビュー4か月にして
時のNWA王者ルー・テーズと対戦している。
1969年2月11日、フロリダ州タンパにおいて
ジン・キニスキーを破り、
NWA世界ヘビー級王座を獲得し、
1973年5月24日、ミズーリ州カンザスシティで
「弟分」ハーリー・レイスに敗れるまで
4年3か月にわたる長期政権を築いた。
その間、日本でもジャイアント馬場・
アントニオ猪木・坂口征二と防衛戦を行い、
防衛を果たしている。
アメリカではラッシャー木村、ジャンボ鶴田の
挑戦も受けている。

以来、米国を代表するレスラーとなり、
実力世界一と謳われた時期もある。
後に全日本プロレスの常連となると、
準日本側のような扱いになり、
主にアブドラ・ザ・ブッチャー、ホースト・ホフマン、
ビル・ロビンソン、ブルーザー・ブロディといった
外国人レスラーと名勝負を残している。
また、1977年には世界オープンタッグ選手権に
弟テリーと組んで優勝、
79年・82年の世界最強タッグ決定リーグで優勝、
1981年にはインターナショナル・ヘビー級王者にも輝いている。
1980年代以降力が衰えてからも
全日本プロレスへの来日は90年代半ばまで続き、
その間1983年・1985年の最強タッグには
馬場とコンビを組んで出場した。